名残と悔しさ

30代の頃、私の主な仕事の一つに、取引先との会食があった。
東京や関西に行く機会が多分にあった私は、様々な業種業界の活躍されている皆さんより
ご当地の美味しいお食事処に案内していただく機会をたくさん経験させていただいた。
都心部の割烹料理屋、京都の料亭など、お酒の席で、締めに羽釜で炊いた新潟のブランド米や
秋田のブランド米を丁寧に炊き上げ、国産のちょっとした洒落た焼き物茶碗でいただくような機会が何度かあった。

処理やお酒は別格、絶世に美味であっても、普段食べている宮城県のお米が美味しいので特段美味しいと感じたことは皆無だった。
その時にはとても美味しいという内容のコメントをするも、内心では(え??これがご自慢のこめ??正直宮城県のコメと大差がない。)と締めのお米メニューで少々戸惑うこともあった。

少々話が逸れるが、お米で私がいつも思い出すのが、戦国時代に有名な将軍達が農民たちに強制してきた年貢や、農民生活そのものを管理、制限を加えてきた話が、小学校や中学校の授業であったことを思い出す。幕府や大名が課してきた農民への仕打ちというか制度自体をあまりよく思えず、なんだか私の両親の家計を辿れば本家は農家であったため、とても悔しかった。
米は繁栄の象徴であり、今のお金に近い価値があった。なので昔は、勝手に農民が農地や耕作地を勝手に相続したり、農地分割できないようにしてきた歴史がある。

江戸時代頃まで、強制的に米を作ることを強制されてきた身分の我々祖先の生き様を考えると、無念の気持ちと諦めが込み上げる。
本サイトのmichinoku-base.comの名前にはこうした、農耕地部族の末裔としてのカウンター精神と都心で田舎者であることを馬鹿にされてきた、私的なチクショー魂が大いに潜んでいる。
宮城仙台、東北は凄い、そう言わせるために活動するため、そうした活動の一端になることを目的に宮城仙台に帰ってきたのだ。

最近、宮城県内の耕作地や、農家さんらと対話を重ねている。宮城食材を活かしたメニューの開発、農家さん達に注目が集まることで東北の新しい魅力発見に繋がって、世界に羽ばたいてほしい、その一端を担いたいと思っている。

代掻きを終えた茶色の水田を見るたびに、悔しさを思い出し 握り拳を強く握るのであった。

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