AIR JORDAN 1
10代の思春期から変わらず好きなもの、40代になると初期衝動だったり、元々好きだったものに回帰する現象がある。そもそも俺ってなんだっけ、、みたいな 社会の一般的なことや常識、概念的なもので見失ってしまうもの。人生を通して何がやりたかったのかということを見失ってしまってきた。今自分は無の境地に向かい、自分が本当にやりたかったことや、どういう生き方をしたいかという根本的なことを考えている。小学校4年生頃、宮城県の田舎町に東京靴流通センター、〇〇スポーツなどで取り扱いがあったスニーカーブームが小学生の子ミニティの中で発生していた。Pro-kedsのスニーカーを流通センターで買ってもらい学校に履いてきている子が存分にいて、それが男女とわず、格好よく写った。1980年代を代表するスニーカーのひとつにAIR JORDAN1がある。否、スニーカー業界を代表するトップのキックスだ。当時小学1〜2年頃だったが、友人のY君の家で衛星放送でNBAのプレイオフなんかをみながら、NBA選手が履くバッシュに目が釘付けだった。当時当然、ネットで見れないので衛星放送を契約している家に行くか、ビデオを録画してもらってダビングしてもらうか、、、ダビングって懐かしい、、(死語)当時のラリーバードや、ジャバー、マジックジョンソンなどスーパースターの中にマイケルジョーダンが現れた衝撃。まさに今の大谷翔平選手もそうだが、突如現れたバスケの神の衝撃と、この色々なストーリーが多いAIR JORDAN1は私の中で衝撃的に焼き付いている。
私も以前は複数コレクションしていたが、引っ越しなど金欠で手放してしまった。高額で売れたが、二度と定価で買うことができないと思うので、名残惜しい。素敵な彼女を捨てて、上京や海外に言ってしまう気分だろうか。。
先日、WORM TOKYOさんで買い物をさせていただいた。AJ1のノースカロライナはじめ、圧巻のディスプレイ。神宮前、原宿界隈には本当に素敵なスニーカーショップが多く、まさに沼の住人にとっては危険な買い物地雷エリアである。AJ1や80年代アメカジ、陸奥の読者の皆さん 古着好きな方状況の際は是非立ち寄ってみてください。いろんなデットストックがあって、財布の紐がブチ切れます。カードの上限額、現金を確認した上で上京ください
やっぱりレプリカに出せない、当時ものが纏っている空気感、存在感は絶大で見惚れてしまっていた。中年のおじさんたちが一足のスニーカーを見て、見つめているのは少年の頃の初期衝動、少年の自分との対話なのである。結局今、一足もOG AIR JORDANが手元にないがまたいつか買い戻すのを少年時代の自分と誓うのであった。