Palms cafeのハンバーガーと戦争
2020年前後 親戚G君の勤務先であるPalms cafe自由が丘に足しげ通っていた。お店のイメージするイラストを依頼されていたので、何度も食べに行かせていただいた。G君のお陰で、ハンバーガーの魅力に当時は私もハマっていた。横浜のSTOVESさん初め、恵比寿、中目黒、都内近郊で美味しそうなお店があると実食を繰り返した。結局私はPalmsのハンバーガーが一番好きだった。チーズベーコンハンバーガーに辛味(名前を忘れた)をトッピングするのが私の定番となっていた。
40代の私をすっかり虜にするハンバーガーが日本に初めて伝わったのは皮肉にも第二次世界大戦が起因している。1945年頃山形の米軍の捕虜だった細谷さんが基地で作り方を学んだそうだ。国内ハンバーガー最初の店(起源)と言われている”細谷のサンド”を忘れてはいけない。山形の牛を使用した事ハンバーガーが人気である。東北一の繁華街国分町の顔の一端を担ってきた細谷のサンド、まだ食されていない方は一食の価値があります。細谷のサンド無くして、自由が丘のPalmsは無かったと個人的に思い込んでいます。因果の法則。
自由が丘のPalmsのハンバーガーが忘れられない。Palms閉店から数年。閉店直前に名残惜しんで自転車で最後食べに行ったあのお昼のハンバーガーを何度も思い起こす。G君ありがとう。この場を借りて御礼を伝えたい。またいつも笑顔で迎えてくれていたスタッフの皆様、感謝申し上げます。元気を出したい時にPalmsの料理と、みんなの笑顔を思い出します。私は平和主義者なので戦争大反対ですが、日本のハンバーガーショップ、並びにサンドイッチ文化の定着に大きな役割を果たした仙台の細谷のサンドさん、ありがとうございます。私の走馬灯(最後の瞬間)の中にPalmsと細谷の思い出が駆け抜けることと思います。