猫石碑研究家 石黒慎一朗さん part2

先日、ご紹介させていただいた猫神石碑研究の第一人者:石黒先生に宮城県丸森町蔵の郷土館 齋理屋敷にある事務所に再訪いただきました。寝ても覚めても猫の話題に尽きない丸森町ということで、石黒先生の知見をお借りして、猫神石碑についての考察をさまざま行いました。

CULUTURE
AND
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(クラスタの語源)
まさに、地域文化をクラフトで形にしようとしているので、ぴったりだなあと
改めて感じるのです。


さて、chat gpt ,gemini,copilotなどのAIサービスに
”何故、丸森町が日本で最も猫石碑(江戸期〜明治期)が多いの?”と問いましたので、
ここに丸っと、コピペいたします。
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いい質問です。丸森町(宮城県)に「猫の石碑(猫碑/猫神さま)」が多い理由について、歴史・風習・地域事情を踏まえて、現在分かっていることを整理します — ただし「なぜこれだけ集中したか」の 決定的な理由は残っておらず、複数の要因が重なってきた結果、というのが研究者たちの見解です。ラジオ関西 JOCR 558KHz+2kaikologs.org+2
🐱 丸森町に猫碑が多い — 事実として
- 全国で確認されている猫碑はおよそ160〜170基。うち丸森町にはその**半数近く(80基前後、あるいは 73〜84基)**があるとされ、「日本一の“猫碑の町”」と呼ばれています。khb+2せんだいマチプラ+2
- これらは石に猫を浮き彫りにしたもの、文字が刻まれたもの、石像など様々な形式があり、石碑だけでなく石像も含めると多数。週末の丸森|丸森町観光案内所+2See Japan, Experience Sendai Activities+2
- 建立年代は江戸後期(最古で1810年)〜昭和初期(1930年代)あたりまで。長い年月をかけて少しずつ増えてきたもの。sippo+2ラジオ関西 JOCR 558KHz+2
つまり、「たまたま猫碑が多く残っていた」という他地域と比べて異常な量の“猫碑文化の蓄積地”ということです。
🏭 背景:養蚕と「猫」の関係
丸森町で猫碑が多数建立された主な背景として、**かつてこの地域で盛んだった養蚕(かいこ・蚕糸業)**が大きく影響していたと考えられています。ラジオ関西 JOCR 558KHz+2mmt-tv.co.jp+2
- 蚕(かいこ)や繭を育てる養蚕産業では、ネズミが大敵。蚕や繭を食べてしまうからです。
- そのため、養蚕農家では猫を飼い、ネズミ除けを期待。猫の働きに対する感謝や信仰が生まれ、「猫神」「猫碑」「猫神様」として猫を祀る文化が育まれた。khb+2show-en-kei.com+2
- こうした猫を神格化する風習は、養蚕が盛んだった地域(東北地方、長野県あたりにも見られる)で比較的多く存在していた。ラジオ関西 JOCR 558KHz+1
つまり、「蚕を守る猫 → 猫を神として祀る → 石碑を建てる」という一連の信仰行為が、丸森町では特に根強く、かつ継続された ―― それが「猫碑の多さ」につながっています。
🪨 石材の土地柄と保存されやすさ
また、地域特有の地質的・環境的条件も、猫碑が多く残された一因とされています。具体的には:
- 丸森町は「花崗岩を含む石の産地」だった地域が複数あり、石を扱う技術や石材へのアクセスが比較的容易だった。これは石碑をつくる土台条件として有利。show-en-kei.com+1
- 石碑を作るコストや手間が、木像や紙の札などに比べて高いため、「それだけ猫への信仰・感謝が強かった」「形として残したい」という意志があった可能性。
- さらに、石で作られた碑は風化や劣化に強く、長く残りやすい ―― だからこそ “多く残っている地域” として今日確認できる。
❤️ 猫への感謝・供養と“身近さ”
養蚕だけでなく、次のような理由でも猫碑の建立は行われたようです:
- 猫が飼い猫として 家族同様・パートナーとして愛されていた地域性。実際、ある猫碑は “昔その家で飼われていた猫” を供養して建てられた、という話が伝わるものもある。sippo+2アメーバブログ(アメブロ)+2
- 猫の「無病息災」「長寿」「良い繭を得ること」などを願う 祈願碑 としての意味もあった。mmt-tv.co.jp+1
- こうした“人と猫の距離の近さ” — 単なる便利なネズミ除けを超えて、信仰・供養の対象として尊重する文化が、この地域に根付いていた。
🤔 それでも「なぜ丸森に集中?」 — 未解明の部分
とはいえ、なぜ同じように養蚕があった他地域ではこれほど大量の猫碑が残されなかったのか ―― ここにはまだはっきりした答えがありません。多くの研究者が次のように述べています:
- 養蚕と猫信仰は確かな背景だが、丸森だけが突出する「なぜか」は はっきりとした理由は分かっていない。週末の丸森|丸森町観光案内所+2kaikologs.org+2
- 石碑建立の頻度、地域の信仰深さ、石工や石材の入手しやすさ、家々の経済力、文化の伝承といった複数の条件が重なった“偶然と歴史の重なり”の結果と考えるのが妥当。sippo+2show-en-kei.com+2
つまり、「丸森に猫碑が多い」のは、単一の理由ではなく、いくつもの事情が重なった結果で ―― ある意味“歴史と運”が生んだ文化遺産、という見方が一般的です。
📸 現在の丸森町と“猫碑文化”の継承
最近では、こうした猫碑を巡る町歩きツアーや、御朱印、土産、イベント(猫神祭 など)も行われ、地域の観光資源として再評価されています。See Japan, Experience Sendai Activities+2ラジオ関西 JOCR 558KHz+2
つまり、昔の養蚕・猫信仰の歴史が、今では「丸森ならではの文化・観光資源」として息を吹き返している ―― そんな興味深い場所なのです。
✅ 結論:丸森町に猫碑が多い理由
- 養蚕のために猫を大切に → 猫を神格化/供養 → 石碑建立という風習
- 石材の入手しやすさ、石工の技術、地域の環境が石碑建立に向いていた
- 猫を家族・神として尊重する地域性と信仰心
- 上記条件が長年にわたって継続 → 多数の猫碑が残された
―― ただし「なぜ丸森だけこれほど多いか」の決定的理由は不明。複数の条件が重なった結果と捉えるのが妥当、というのが現在の学説です。
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結論、答えが”謎”という点が、今となっては貴重なのだと私は解釈しています。
なんでもAiに問いをぶつければ、ある程度答えや、それに近いところまで行けますが、
結局、謎であるということ自体がミステリアスで、興味をそそるポイントなのだといつも感じます。



(猫って ミステリアスですよね・・・)
続く、、、

